クリーム解散直前にジャズ・アルバム「Things We Like」を録音したが、リリースされたのは解散後に録音したロック色の強いアルバム「Songs for a Tailor」の後であった。 ギタリストのラリー・コリエル、ドラマーで元ヘンドリックスのサイドマンのミッチ・ミッチェルと短期間ツアーを行い、その後、ギタリストのジョン・マクラフリン、オルガニストのラリー・ヤングとともに、ドラマーのトニー・ウィリアムスのジャズ・ロックの草分けバンド「Lifetime」に参加することになる。

その後、ブルース氏はいくつかの自身のグループを率い、ギタリストのロビン・トロワー、ギタリストのレスリー・ウェスト、ドラマーのコーキー・リングとバンドの共同リーダーをつとめた。 また、リンゴ・スターのオールスター・バンドにも時折参加していた。

ブルース氏が参加したアルバムには、カーラ・ブレイとポール・ヘインズの実験的ジャズ・ロック・オペラ「丘を越えるエスカレーター」(歌も担当)、ルー・リードの「ベルリン」、ザッパとブルースの共作でタイトル曲を持つフランク・ザッパの「アポストロフ」などがある。 リーダーとして10数枚のアルバムを録音し、最新作は今年発売された「Silver Rails」。

ジョン・サイモン・アッシャー・ブルースは1943年5月14日、スコットランドのグラスゴーで生まれた。 王立スコットランド音楽院でチェロと作曲を学ぶ。

「幼いころ、私はある種のモーツァルトになることを思い描いていた」と彼はかつて語っている。 「早くからクラシック音楽を学び、11歳で弦楽四重奏曲を作曲しました」

しかし、彼は正式な音楽の勉強に幻滅し、数カ月でアカデミーを去りました。 まずイタリア、次にイギリスに移り、1962年にバンド「ブルース・インコーポレイテッド」に参加した。 翌年、オルガン奏者グラハム・ボンドのバンド、グラハム・ボンド・オーガナイゼーションに参加した。 その後、John Mayall’s Blues Breakers(ここでクラプトン氏と初共演)やポップ・グループのManfred Mannにも短期間在籍していた。

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